常に俺はね、『絶対に最後見とけよ!』と思っている。
今は負けているかもしれないけど、コツコツと差を縮めて、
絶対に追い抜いてやるという気持ちは、中学校の頃から持っている
ウサギとカメのカメのようですね。
日本を代表するスーパースターも才能だけではなく努力をしています。
努力することで道は開けます。
何でも良いです。どんな小さなことでも良いです。
まずは第一歩を歩み始めましょう。
兵庫県神戸市出身のプロサッカー選手。プレミアリーグ・マンチェスター・ユナイテッドFC所属。ポジションはミッドフィールダー、フォワード 。日本代表。
FCみやぎバルセロナのジュニアユースに所属し、ナショナルトレセンやU-15日本代表にも選ばれている。
2004年、宮城県黒川高等学校(土木科)に進学。高校1年生の時に日本クラブユースサッカー選手権 (U-18)大会に出場。
2005年9月、高校2年生の時にU-18東北代表(清水秀彦監督)に飛び級で選出され、仙台カップ国際ユースサッカー大会 (U-18) にボランチとして出場し、MIPの1人に選ばれた。
2006年にセレッソ大阪に入団。高校卒業前の選手がプロ契約を結ぶのは、Jクラブのユース所属選手がトップチームに昇格した場合を除くと史上初だった。
同期入団はセレッソ大阪U-18からトップ昇格した柿谷曜一朗。
J2で迎えた2007年シーズン中盤からは、当時の監督レヴィー・クルピによって見出されてレギュラーを獲得し、リーグ戦35試合の出場で5得点を記録。
また、カナダで開催されたU-20ワールドカップにも飛び級で選出され、2試合に出場した。
2008年は開幕から主力として活躍し、本来の世代であるU-19代表の他、U-23の北京五輪日本代表、A代表にも飛び級で選出され、リーグ戦では35試合の出場で16得点を記録。
2009年から背番号をミスターセレッソ森島寛晃がかつて着用したエースナンバー「8」へ変更。第15節水戸戦でプロ入り初のハットトリックを達成し、その後も4試合連続ゴールを記録するなど得点を重ねる。
シーズン終盤は怪我の影響で主にスーパーサブとしての出場だったが、リーグ戦27得点を記録しJ2得点王に輝くなど、チームのJ1昇格の大きな原動力となった。実質的に自身初のJ1でのプレーとなった2010年は、他クラブへの移籍や海外挑戦も噂されたもののチームに残留。
セレッソ大阪でのラストマッチとなった5月15日のヴィッセル神戸戦で自身初となる直接FKで決勝点を挙げるなど、2ヶ月半ながら11試合7得点の成績を残した。2010年7月1日、ブンデスリーガ1部のボルシア・ドルトムントに完全移籍し、2012年7月にイングランド・プレミアリーグ名門・マンチェスターユナイテッドFCに完全移籍。