矢野燿大の名言・格言

目をつぶると韓国のバッターが1番から出てきて、

どないして抑えたらええやろとか、展開を考えてしまうんですよ。

もちろん、抑えて勝つって想像もしてるんですけど、

同時に、自分のミスで負けたらどないしよっていうのがあって……

怖かった、うん、やっぱり怖かったですね。

国を代表して戦ったキャッチャー・矢野の名言。

プロ野球で阪神タイガースの選手として戦うのとはまた違う重圧。

一流選手でも不安に思うことはあるんですね。


矢野燿大とは

矢野 燿大(やの あきひろ、本名:矢野 輝弘)は、大阪市東住吉区(現・平野区)出身の元プロ野球選手(捕手、外野手)。2010年の現役引退後は、朝日放送・サンテレビの野球解説者やスポーツニッポン大阪本社の野球評論家として活動するかたわら、2013年には野球日本代表のバッテリーコーチを務めた。愛称は「テル」、「アキちゃん」、「矢野プー」など。マネジメント契約先はスポーツビズ。中日では、1年目から一軍の公式戦に出場するも、長らく中村の控え捕手に甘んじていた。ただ、1996年8月11日の対巨人戦では、野口茂樹とバッテリーを組んでノーヒットノーランを達成した。また、捕手として一軍に帯同しながら、打撃力の高さを買われて公式戦に外野手として出場することもあった。1996年に巨人が逆転優勝を決めたナゴヤ球場での最終戦には、1番・中堅手で出場。中日の選手としては同球場の公式戦で最後となる本塁打を放った。1997年オフに大豊泰昭と共に、関川浩一・久慈照嘉との交換トレードで阪神に移籍。当時の監督であった吉田義男にリード面を評価され、山田勝彦に代わってすぐに正捕手の座を勝ち取る。1998年5月26日の対中日戦で川尻哲郎をリードして2度目のノーヒットノーランを記録。この年、7月7日の横浜戦でこの日まで無敗で連続セーブ記録を続けていた、当時全盛期(この年のシーズンMVP)の“大魔神”こと佐々木主浩(東北福祉大の1年先輩)から、佐々木のその年唯一の敗戦となる逆転サヨナラヒットを放つ勝負強さを見せている。1999年にはプロ入り9年目にして初の打率3割を記録した。阪神の捕手で打率3割を記録したのは1979年の若菜嘉晴(打率.301)以来20年ぶりのことであった。


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