橋本左内の名言・格言

気とは、人に負けまいと思う心、
すなわち負けじ魂と、恥辱を知って
それを悔しく思う気象のことである

成長には恥じることが必要ということでしょうか。

恥を知ることで恥とはどういうものか。

恥をかくというのはどういうことかを知ること。

それが次につながるのでしょう。


橋本左内とは

江戸時代末期(幕末)の志士、思想家、越前国福井藩藩士。号は景岳。諱は綱紀。著書に15歳の時に志を記した『啓発録』がある。天保5年(1834年)、橋本長綱の子として越前国に生まれる。母は小林静境の娘。弟にのち陸軍軍医総監・男爵となった橋本綱常がいる。家系は足利氏の連枝・桃井氏の後胤。祖先が桃井より母姓を冒して橋本姓に改姓して以来、橋本を称する。嘉永2年(1849年)、大坂に出て適塾で医者の緒方洪庵や杉田成卿に師事し、蘭方医学を学ぶ。その後、水戸藩の藤田東湖、薩摩藩の西郷吉之助、小浜藩の梅田雲浜、熊本藩の横井小楠らと交流する。やがて福井藩主の松平春嶽(慶永)に側近として登用され、藩医や藩校・明道館学監心得となる。江戸幕府14代将軍を巡る将軍継嗣問題では、春嶽を助け一橋慶喜擁立運動を展開し、幕政の改革を訴えた。また幕藩体制は維持した上で西欧の先進技術の導入や、日本とロシアは提携の必要性があるなどといった開国論を展開した。安政6年(1859年)、大老となった井伊直弼の手により安政の大獄が始まり、春嶽が隠居謹慎を命じられると、将軍継嗣問題に介入したことを問われて頼三樹三郎と共に伝馬町牢屋敷で斬首となった。享年26。墓は福井市の善慶寺に隣接する左内公園と、長州の吉田松陰などとともに南千住の回向院にもある。戒名は景鄂院紫陵日輝居士。明治24年(1891年)、贈正四位。


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