川口和久の名言・格言

いくら頭でわかっていても体が動かなければ、
知らないのと一緒でしょう。
下半身の使い方、腕の振り方、全てを体で覚えていく。


そうすれば、この一球という時に、筋肉の記憶がきっちりインコースに
ボールを投げさせてくれるのです。

いくらインプットしてもアウトプットしなければ無意味。

どんな時でもアウトプットできるようにインプットの繰り返し。

なので努力が必要なのですね。


川口和久とは

鳥取県鳥取市出身の元プロ野球選手(投手)、野球解説者。2011年からは読売ジャイアンツの投手総合コーチを務める。左腕から繰り出す切れ込むような直球と鋭く曲がるカーブを武器に三振の山を築いて投手王国広島を引っ張った。制球に不安を抱えながらも、それをカバーして余りある球威と切れで打者を抑え込み、広島と巨人で計4度の優勝に貢献した。鳥取城北高校でロッテから6位指名を受けるも社会人野球のデュプロに進み、1981年、ドラフト1位で広島に入団する。1年目は、7試合登板に終わるが、2年目には15試合に登板し、4勝5敗ながら防御率1.93の安定感を示し、頭角を現す。3年目の1983年には15勝10敗、防御率2.92の好成績を残し、リーグ最多の4完封を記録する。1984年には8勝6敗で広島のリーグ優勝に貢献し、阪急との日本シリーズでも1勝を挙げて日本一に貢献する。日米野球ではオリオールズ相手に完封勝利を挙げる。1986年には12勝9敗の成績で広島のリーグ優勝に貢献すると、1987年には12勝11敗、184奪三振で初の最多奪三振を記録する。1989年にも12勝7敗、防御率2.51、192奪三振で2度目の最多奪三振を記録する。1991年には12勝8敗、防御率2.90で230奪三振を残して3度目の最多奪三振に輝き、リーグ優勝に大きく貢献する。1986年からこの年まで6年連続2桁勝利も達成した。1994年には7勝を挙げたが、その年のオフにFA宣言をして巨人へ移籍する。巨人移籍1年目の1995年は、打線の援護に恵まれず、4勝に終わるが、通算2000奪三振を達成する。1996年にはシーズン途中からリリーフに回り、1勝4敗3セーブながら防御率2.95と安定した成績で巨人のリーグ優勝に貢献し、胴上げ投手にもなった。1998年は0勝に終わり、その年限りで現役を引退した。通算成績(実動18年):139勝135敗4セーブ、防御率3.38、2092奪三振 最多奪三振3回(1987・1989・1991)


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