サッカーは見たこともありませんでした。キャンプ地に決まってからは、大分に通い、トリニータの試合をほぼ全部観戦して勉強。今ではボールを追って選手たちが流れる姿が、爽快で美しいと思えるようになりました。にわかファンには変わりありませんが…。
キャンプ場所として利用するカメルーンの大遅刻により一躍有名になった中津江村の村長。サッカーのカメルーン代表の話題のたびにメディアで報じられるのはお約束です。
大分県日田郡中津江村の、自治体としての同村の最後の村長。最終学歴は中津江村国民学校卒業。自称「日本人のカメルーン人」。村長を務めていた当時の2002年、中津江村が2002 FIFAワールドカップ(W杯)でカメルーン代表のキャンプ地に選ばれたが、選手団の中津江入りが予定より5日も遅れたことで、村とともに村長の名も全国に知れ渡った。「W杯(中津江村)」は、2002年の新語・流行語大賞年間大賞に選ばれ、坂本はその受賞者となった。W杯後も、大分スポーツ公園総合競技場(ビッグアイ、現:九州石油ドーム)で開催された、日本代表対カメルーン代表の親善試合(キリンチャレンジカップ)に顔を出したり、自身がカメルーンを訪問し、友好都市メヨメサラ市にも足を運ぶなど、中津江とカメルーンの交流を続けている。2003年には、カメルーン政府から「カメルーンと日本の友好関係に貢献した」として「シュバリエ勲章」が贈られた。カメルーンに貢献した人物に贈られるもので、日本人の受章は初めて。また、同年、メヨメサラ市長も来日し、旧中津江村を訪問している。