落合博満の名言・名インタビュー

本当にその選手を育てたいと思ったら

「負けるなら負けてもいい。この試合はおまえに任せた」

と言ってやるのが大切。

名言の多い落合博満氏。

まさに上司が部下に対して適した名言ですね。

ここまで寛大だと部下もやりがいがあるでしょう。


落合博満とは

秋田県南秋田郡若美町(現:男鹿市)出身の元プロ野球選手(内野手)、プロ野球監督。2013年オフからは中日ドラゴンズのGMを務めている。 現役時代はロッテ、中日、巨人、日本ハムで活躍。日本プロ野球史上唯一となる三度の三冠王を達成した。2004年から2011年まで中日ドラゴンズ監督として指揮を執り、すべての年でAクラス入りを果たし、4度のリーグ優勝、1度の日本一に輝いた。1953年、秋田県南秋田郡若美町(現:男鹿市)にて7人兄弟の末っ子として生まれる。長嶋茂雄に憧れて野球を始め、小学生の頃は雑誌などに載っている長嶋のバッティングフォームをよく真似していた。中学・高校時代は、年間100本もの映画を観賞するほどの映画少年で、特に『マイ・フェア・レディ』は7回見に行き、劇中歌の歌詞(英語)を覚えたほどだった。落合の採用していた打法は、同じ神主打法を使用する他の選手と比べても独特であった。これはプロ入り間もない頃に受けた松沼博久の徹底したインハイ(内角高め)攻めに対応するため、改良を重ねて編み出されたものである。松沼は「最初のうち落合はインハイが全く打てず、ある時を境に苦手なはずのインハイばかり狙って振ってきた。そのうちインコースが投げ難い構え(神主打法)を編み出し、インハイを完璧にカットする技術を身に付けていた」と語っている。これには一軍に定着した頃に江夏豊からの「同じ球を待ち続ける打者が一番怖い」と言われ、その後はインハイの力のある球に振り後れないよう打席ではインハイを待っていたという。ボールを運ぶ巧みなバットコントロールは、数々の逸話を生んだ。ロッテ時代、1986年シーズン終盤の打撃練習中にて、マスコミのカメラがグラウンドにたくさん来ていた。カメラが目の前を通るため、落合は「危ないよ」と何度も警告を出した。しかしそれでもカメラマンが居座ったため、打席に立った落合は「じゃあ、そこ、狙うから」と言い、1球目を右に流し打ちしてフジテレビカメラマンの手持ちカメラのレンズへ直撃させた。だが時価1000万円するカメラのレンズを割られたそのカメラマンは、「良い映像を撮った」という理由で後日に社長賞を受賞し、落合にお礼を言いにきたという。選球眼が抜群で、リーグ最多四球を1984年から1991年の8年連続含め、通算9回記録した。通算1475四球は王貞治に次いで歴代2位、右打者では歴代1位である。四球が多いにも関わらず、三振数は少なく、3桁の三振を記録したシーズンは一度もない。一塁手、三塁手、二塁手としてそれぞれ出場経験があるが、最も出場回数が多いのは一塁手である。守備範囲は狭かったが、捕球は堅実であった。自分が捕れる範囲の打球は確実に捌き、二塁手で守備率リーグトップになったシーズンもあるなど、守備率に関しては高い数値を残した。一塁手として通算1497試合・12717守備機会を残し、失策はわずかに58個で、一塁手プロ野球歴代1位(700試合以上対象)の通算守備率.9954を記録している。20代で1度離婚後、ホステスをしていた9歳年上の信子と再婚した。信子は落合のFA権の行使や監督就任などを決断させたことでも知られる。2人の間には1987年8月20日に誕生した長男の福嗣がいる。


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