「ああ、ここにおれの進むべき道があった!ようやく掘り当てた!」
こういう感投詞を心の底から叫び出される時、貴方がたははじめて心を安んずる事ができるのだろう。
人は居場所を探し続ける。
そして安心する。それが人生・・てか。
1000円ください。
日本の小説家、評論家、英文学者。本名、金之助(きんのすけ)。江戸の牛込馬場下横町(現在の東京都新宿区喜久井町)出身。俳号は愚陀仏。大学時代に正岡子規と出会い、俳句を学ぶ。帝国大学(後の東京帝国大学、現在の東京大学)英文科卒業後、松山で愛媛県尋常中学校教師、熊本で第五高等学校教授などを務めた後、イギリスへ留学。帰国後、東京帝国大学講師として英文学を講じながら、「吾輩は猫である」を雑誌『ホトトギス』に発表。これが評判になり「坊っちゃん」「倫敦塔」などを書く。その後朝日新聞社に入社し、「虞美人草」「三四郎」などを掲載。当初は余裕派と呼ばれた。「修善寺の大患」後は、『行人』『こゝろ』『硝子戸の中』などを執筆。「則天去私(そくてんきょし)」の境地に達したといわれる。晩年は胃潰瘍に悩まされ、「明暗」が絶筆となった。日本での絶大な名声に比較すると、欧米での知名度はそれほど高いとはいえないものの、英語圏では主要な作品のいくつかが訳されており、一定の評価を得ている。